熊野水軍のお話

熊野水軍は源氏と平家の時代、紀伊半島南東部、熊野灘、枯木灘に面した地域を拠点とした水軍。熊野海賊とも言われています。瀬戸内海の制海権を握り、平安時代末期の内乱、治承・寿永の乱(源平合戦)で活躍した事で知られています。

熊野水軍イメージ展示

「源平合戦」で源氏に加勢した熊野水軍

史実で有名な「源平合戦」。その歴史ロマンの一片を三段壁で感じることができます。源氏と平家が激しい戦いを繰り広げていたころ、熊野水軍は、熊野別当湛増(武蔵坊弁慶の父)に率いられて源平合戦に参戦し、源氏の大勝利に多大な貢献をしたと言われています。

エピソード紹介

湛増は元々平家方として知られていたが、我が子弁慶の要請もあり、どちらに加勢すべきか迷っていた。そこで田辺の宮の神前で、紅の鶏を平家、白の鶏を源氏とみて七番の闘鶏を行い、神意を占った。 結果は七番とも白鶏の一方的な勝利であった。 これにより湛増は、神は源氏につけとのお示しと拝受し、熊野水軍に源氏方への加勢を呼びかけた。 そして直ちに総勢二千余名が二百隻の船に分乗、源平両軍が対峠する屋島ノ浦に向かって出発しました。

壇ノ浦では両軍が、姿をあらわした船団を見つけ、敵か見方かと見守る中、船上に仁王立ちになった湛増が大音声に 「紀国熊野新宮に仕え奉る七代の熊野別当湛増、神威を奉じて源氏の軍に馳せ参じ申しました。率いるは熊野水軍二千余名、船艘二百。 いざ、熊野水軍の力のほどをお目に掛けよう」 と激励し、それを聞いた源氏軍から湧き起こる大歓声。

熊野水軍のこの参戦は源氏にとって、百万の力にも値したことでしょう。 そしてこれが、源平合戦に終止符を打つ要因の一つになりました。